善と正義と無意識の悪の話
こんばんは。
一日飛ばして3回目の日記です。
更新頻度はこうやって少しずつ落ちていくと思いますが、
気が向いたときに気の向くままに記していこうと思います。
今日は「スポットライト 世紀のスクープ」という映画を観ました。
アメリカ ボストンで起こった カトリック神父による児童への性的虐待の実態を暴く
新聞社(ボストン・グローブ紙)の話です。
教会といってもこの国ではあまりピンとこないかもしれませんが、
宗教社会において、いわゆる宗教的指導者やコミュニティーというものは
自信の規範や倫理を形成する上でも極めて重要な存在です。
そんな指導者である神父が犯した児童への性的虐待という行為は、
単なる肉体への暴行だけでなく、信仰の掠奪とも解釈できます。
すなわち、自分の倫理形成の規範であり、
いわば神様に近い人に裏切られるわけですから、
まさしく「この世に神はいないのか」と絶望するには十分というわけです。
また、この事件の真相を暴いていくうちに
地元の市民からは「教会はこの町に必要だ。少数の悪を暴くために多数の善を犠牲に出来ない」といった旨の発言や態度を示されます。
傍から見れば なんて欺瞞に満ちた外道だ!と思いますが、
いざ自分を省みると、もしかしたら自分が多数側にいることに胡坐をかいて
誰かを貶めたり、訴えをもみ消したりしているかもしれませんね。
正しいことと善きことは必ずしも一致しないかもしれませんが、
自分にとっての正しさをいつだって見失いたくないものです。
さて、今日はここまでといたしましょう。
良い映画を観られた今日は良い日だったと思います。
おやすみです。